英語なんていつまでも「勉強」している暇はない
いくら英語が重要だからといって
いつまでも「勉強」を続けるのは得策ではないと考えます。
今や英語は「産業」ですよね、間違いなく。
本屋に行けば一生かけても読みきれない数の参考書があり、
TVでは「今日の英語表現」的なコンテンツが毎日放送されていたり。
こういう「教材」を長年コツコツとやり続けた延長線上に「英語ができる自分」、すなわちネイティブとビジネスで議論したり、プライベートな付き合いで世界が広がったりする世界があるのだろうか。
誰もがそこに不安をもちながら、今日も英語を「勉強」している。
でも、英語ができるために
いずれは「英語産業の得意客」をやめなければならない。
英語力がある一定度に達すると、独学で英語の勉強ができるようになってくる。
「勉強」するよりも、生の英語に触れる方が成長が早くなる。
「英語を生活に取り込める」と言ったほうが良いだろうか。
英語学習にはそういう臨界点が確かに、ある。
そうなればしめたもの。
あとは洋書を読むなりTVや映画を観たり、
あるいはネイティブと付き合いを重ねたり
「英語を生活に取り込む」うちに自然と英語力は伸びていく。
同時に、矛盾するようですが、一般的な日本人が英語を「最短でものにする」ためには
まずは英語を「勉強」する事が、実はダントツで効率が良い。
この英語力の「ある一定度」に関して、英語産業ではこれまで議論がされてこなかった。
理由はシンプルで、学習者にとって誰もがわかりやすいゴールが証明されてしまったら「産業」としての旨味がなくなってしまう。
だから結果、僕たち学習者は闇雲に、あるいは漫然とTOEICの勉強をしてみたり、
「英会話まいにちの一言」のような英語教材の得意客になったりして、
気づけば「英語難民」になっている。
英語の「勉強」が、どこまで出来ればよいのか。
どこをゴールとして目指せばよいのか。
そして、どう「勉強」するのが効率的なのか。
この問いの答えに、僕はずっと関心がありました。(今もあります)
しかし、当然最短ルートは確かに、ある。
そして日本人にとって「ある一定度」とはどこなのか。
英検準一級
個人的な経験値からいえば、これが答えです。
日本人が英語の「勉強」から解放され、英語を「実生活に取り込む」ための最短ルートとしてまずは、やはり「勉強」をする必要がある。
それも「効率の良い正しいやり方」で「ある一定度」まで。
そして
①「効率の良いやり方」
②「ある程度まで」
の精度を極限まで解明し、よりシンプルなパッケージで英語学習者に提供すること。
そうする事で成長スピードが最大化される。
これが僕の関心の中心です。
そして色々と試行錯誤しながら、おぼろげながら分かってきたこと。
英語学習の最短ルート
・大学受験の「単語帳」「英文読解の参考書」を使い
・英検準一級を目指す
・その後、英語を「生活に取り込む」ことで学習を自動化する
このブログでは、主にこのことについて考えたことをまとめていこうと思います。